イタリア的グロテスク

今、国立西洋美術館でカラヴァッジョ展が開催されていることはご存知ですよね?
既にご覧になった方も多いかと思います。私はまだですが、絶対行きたいと思っています。

私はイタリア人の友達がいるでもなく、イタリア語が出来るわけでもありません。
かの地には何度となく訪れたものの単なる旅行者としてです。が、前世の誰かがイタリア人だったのではないか?等と感じることが時々あります。
学生の時、初めてローマに足を踏み入れた瞬間、震えるような感動で立っているのもやっとの状態でした。
足元の石畳さえBC何年という、当たり前のようなローマ時代からの遺跡に囲まれ、息も出来ないほどでした。
コロッセオでは残酷な饗宴のあとの空気が今も漂っているかのようでした。

私が最も好きな映画はフェリーニの「カサノヴァ」と「サテリコン」。
というと両方の映画を知っている人はきっとそこで全てお見通しとなるでしょう。
「カサノヴァ」は色事師で有名ですがドナルド・サザーランド演じるカサノヴァは醜くグロテスクで次々とお相手する女性たちも異様な風貌、過剰な装飾で登場人物誰一人としてまともな人はいません。
最後に行き着く永遠の女性はなんと人形なのですが、そのラストシーンも安っぽくメルヘンチックでそれがまたグロテスクさを強調しています。
「サテリコン」はローマ時代の酒池肉林的内容で、そのグロテスクさに嫌悪する人も多いと聞きます。

なぜ巨匠フェリーニの代表作「道」より私がこれらの作品を好きかというと、グロテスクでありながらどこか呑気であっけらかんとしていて、観る度にイタリアの大地のような大らかさを感じるからかも知れません。
それが妙に懐かしくいかにグロテスクな内容でもいたずらをした子供を叱るお母さんのような大地が暖かく包み込んでくれる、フェリーニ監督もその安心感でやんちゃをしたような気がします。
カラヴァッジョの絵を見て何を感じるか、楽しみです。